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2018帰省日記(2日目①)〜復興の町、老いゆく親

これまでに何度も感じた事のある、昨日と今日ではまるで違う世界に来てしまったような感覚。

例えば3.11、あるいは9.11の時のように。

東日本大震災をきっかけに、遠ざかっていた故郷に帰省するようになった。その8度目の帰省中にまさか、今度は北海道が大地震に見舞われるなんて。

盛岡駅近くのビジネスホテルに泊まっていた私はいつものように、自然に眠くなるのを待っていた。

人とたくさん喋った日には寝付きが良くなる事が多いのに、この日のホテルとはどうも相性が悪かったらしい。

空調をつければ寒く、消すと暑い。どこかから聞こえる微かなモーター音が気になる。それでもじきに眠くなるだろうと、ごろごろベッドに転がっていた。

そして午前3時過ぎ。何気無しにスマホを見ていると突然、北海道で地震の文字が現れたのだった。

私は起き上がってテレビを点けた。

また、大地震が起きた。

津波は?余震は?

テレビはさっき起きたばかりの地震の映像を、繰り返し流すだけだ。

私はもう、眠るのを諦めるしかない。こんな時に眠れるわけがない。

気持ちがずるずると堕ちていく。感情が壊れていく。その流れに自分が抗えないのも解っていた。

予定していた11時の列車ではなく、もっと早く盛岡を発つ急行バスの時間を調べた。

中島みゆきの歌のように絶望的観測をするのが癖なので、途中で大地震に遭ったなら、列車とバスではどうなるかイメージしてみた。

その結果は、列車でもバスでも大差ないように思えた。

列車もバスも、携帯の電波の届かないような山奥を走る。どちらにせよ、崖崩れが起きてしまえば一巻の終わりだ。

それなら、少しでも早く家に帰れるバスにしよう。

「今度また津波が来たら、おれは避難しないで家ん中さ居る」

これが母の口癖だった。

体重が28kgになってしまったという母を背負って逃げるのは、私でも容易いだろう。

でも、もう生きなくてもいいのかな。

そうだ、きっと私は逃げずに、母とふたりで家に残るのかも知れない…

 

 

ほんの数時間前、「強い気持ちを持って、これからもちゃんと生きて行こうね」等と、友人達と話したばかりなのに。

 

列車ではなくバスにした事と、到着時間の変更を、姉から母に伝えてもらうようLINEをした。

そして、タクシーで馴染みの食堂に行くようにと、時間を細かく指定した。

駅から歩いて5分の場所にあるその食堂には、偏食で少食な母にも食べられるものがあるのだった。

到着予定時間ぴったりに、バスは駅に着いた。

スーツケースを引いてゆっくり歩いても、約束どおりの時間に間に合うだろう。

バスの荷物置き場からスーツケースを下ろしながら、自分の気持ちを奮い立たせた。

しっかりしろ、自分。

疲れた暗い顔を、母に見せてはだめ。

振り返ると、そこに母が立っていた。

真夏のような陽射しの中で、シルバーカートを押しながら待っていた。

「どうしてタクシーで来なかったの?駅じゃなく食堂って聞かなかった?何分くらいここで待っていたの?」

母にはイライラさせられるけど、あまり怒らないようにと、姉から言われていた。けれど、どうしても尖った言い方をしてしまう。

「30分くらいかなあ」

母はのんきな声でそう言った。私はくらっと目眩がした。

バスの中で少しは眠っておこうとしたが、結局ほとんど眠れなかったのだ。

この後私は、海の見えるホテルに母を連れて行こうとしていた。

前もって提案すれば「ホテルなんか、おれはやんた(嫌だ)」と言うに決まっているから、母には内緒の計画である。

 

これが、老いてますます頑な母との、4日間の始まりだった。