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人をあやめたいと思った事はあるだろうか?

 

 

私は「ある」詳しくは後で書く。

私が初めて小説らしきものを書いたのは、中学一年の夏休みだった。

当時通っていた中学では、長期休みに入る前に自由研究テーマを決めねばならなかった。

研究テーマは科目別に、例えば国語分科会、社会分科会等という具合に分けられた。

休みが終わるとクラス毎の各科目の代表が集まって、分科会で発表をする。その中から科目別の学年代表を選ぶのだった。

自由研究なんて面倒。何をすればいいんだろう。

口々に騒ぐ私達に担任が、先輩達の例をいくつか挙げた。その中に「小説を書くとか…」の一言があった。

「えっ?小説を書けばそれで自由研究になるの?」

小学生の頃、お楽しみ会の脚本やお笑いネタを書いていた私は、すぐに飛びついた。これなら「遊んでいないで勉強しろ」と言われても「自由研究中」と言い返せる。最高だ。

嬉々として400字詰め原稿用紙50枚を書き、まだ休みが残っていたので白い紙に清書した。自己流の製本をして、はい。これが自由研究ですと提出すると、クラス代表を経て国語科の学年代表に選ばれた。

 

大変なのは、それからだった。

 

全校朝礼で校長が、自由研究について話をした。

夏休み、皆がそれぞれ自由研究を頑張って来たが、その中に素晴らしい才能がどうのこうのと話すのが、まさか自分の事だとは思わなかった。

全校生徒約千人の中学校。休み時間になる度に「タンポポってどれよ?」と、廊下が人でごった返した。目立つのが大嫌いな私は恐怖で震えた。生徒達は「なあんだ、あれか」と言いながら、興醒めして立ち去って行く。騒動は数日で沈静化した。

(この時のトラウマが、私のオフ会お断りの理由である)

「校長が朝礼で要らん事を言ったから、酷い目にあった」と母にぼやくと、2学年上の姉がなぜか怒っていた。

「あんたのせいで、私までいい迷惑だった。タンポポって、お前の妹だろうって」そう言われても、断じて私のせいではない。

姉は、こうも続けた。

「あんたが書いたものは、小説じゃなくて作り話。あんなの今まで読んだ漫画とか、テレビで見たものの寄せ集めじゃないの」

これには母も姉を諌めた。母は、私が何も資料を見ずにペンを走らせていたのを知っていた。そして、作品が学校で誉められたのをとても喜んでいたのだ。

「本当の事を言っただけ」と、姉は引かなかった。

「寄せ集めじゃないもん。私はちゃんと自分で考えて、あれを書いたんだから」

そう言い返して、母もそうだねそうだねと私の味方をするものだから、姉は拗ねて部屋に閉じ籠った。

けれど姉にそう言われてみれば、確かにどこかで聞いたようなお話で、私は無意識のうちにそれを真似て書いたのかも知れない。

姉のこの一言で、私は小説を書くのが怖くなった。まだ誰も聞いたことのないオリジナルストーリーを作らなければ、再び姉に批難されるのだろう。

 

中学での3年間は、長期休みに小説を書く事を求められた。他の科目がやりたいと申し出ても「あなたは小説にしなさい」と言われるほど、私は作家センセイだった。

こうして数作品を書いてきたが、自分で気に入るものは何ひとつなく、母がとっておきなさいと言うのも聞かずに全部捨ててしまった。

そして私は、姉の言うとおりだと思った。

本物の小説なんか書けるわけない。私はまだ何も経験していないのだから。

それから長く生きているうちに、私は小説の事などすっかり忘れていた。

 

「経験していなければ、小説が書けないというのは間違いだ」

このような、誰かの言葉で腑に落ちた。

ミステリー作家は誰であれ、実際には殺人を犯していない。つまり、そういう事だ。

小説は、絵空事でも良かった。でも私は、姉のお陰で本当の事しか書けないもの書きになった。

私が書いたものを姉に見せると

「すごくよかった。泣いた」と、今では言ってくれる。

 

 

人をあやめようとしたことがある。

もちろんその後は、自分も死ぬつもりだった。

西日が差し込むこの部屋に、明日の朝はもう来なくてもいいと思った。

その時にあやめる事が出来なかったから、私は今もこうして生きている。

事件が起こる度に私はそれを思い出し、決してひと事と思えなくなってしまう。

いつか人をあやめるシーンを書くとしたら、あの日の部屋を思い出すだろう。

書きたいことがあるならば、出来る限りのリアルを知ってからの方がいいと思う。情念も、光景も。

原発であれば、入って行けるところまで実際に入って見てから。

震災関連なら、被災地の取材は必須。

絵空事は、誰の心も動かさない。