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体罰

会うとご飯をご馳走してくれるらしい船橋のオジサン(id:cj3029412)が、高校時代の恩師の話を書いていて、少し泣いた。

お土産屋「八汐」のこと - illegal function call in 1980s

 

今は生徒に手をあげればクビになる時代だけれども、私が子供の頃には、悪い事をすれば叩かれるのは当たり前だった。

小中高のどの時代にも、同級生が往復ビンタをされるのを見てきたし、私自身も一度だけ叩かれた事がある。

叩くなんて酷いと思うよりも、それだけの事をしたのだから、仕方ないなと皆が思っていた。

叩いた教師の側も、自分の憂さ晴らし等ではなく、覚悟を持って叩いたと思う。

私は体罰について何か書いた気がするので探してみたら、3年前の記事だった。

たった2,000文字に3日かけていた事と、とある教師のスター1個しか付いていないので、笑ってしまった。

 

 

体罰

 

小学生の時の事だ。
T君が学校を休んだ日の朝

「T君のお母さんが、昨日亡くなりました」と
担任が私達に伝えた。

「君達は、もしも自分のお母さんが死んでしまったら…等と、想像した事があるだろうか?
T君は今、どんな気持ちでいるのかを、考えてみて欲しい。
そしてT君が学校に来た時には、どう接してあげたらいいだろうか」
 
そんな話を、私達は黙って聞いていた。すすり泣く子もいた。
私もT君がとても可哀そうに思った。
数日して、T君は登校してきた。
やはり、元気はなかったが
私達は温かくT君を迎え入れたと思う。
 
6年生の時の事。
T君が、学校に来なくなった。
当時は誰かが学校を休むと、給食のパンを近所のこどもが届けるのだが
T君の家に一番近いのが、私だった。
最初のうちは、風邪でもひいたのだろうと思っていたが
欠席は長く続いた。
先生がパンを私に託す時、他の子が私に同情するほどだった。
そして、T君は病気ではなく、ズル休みじゃないか?と言う子も出てきた。
 
 T君は、転勤族ばかりが住む社宅の団地に住んでいた。
私は、T君と家は近いけれど仲良しではない。
その当時は、男子と女子が一緒に遊ぶ事はほとんど無かったから。
団地の階段を延々と上り、玄関のチャイムを鳴らすと
若い女性が出てきた。
パンを渡す私に
「いつも、ごめんなさいね」と
本当に済まなそうに謝っていた。
奥の方でT君のいる気配がしたが、T君が玄関先に来る事はなかった。
すごく きれいな 女のひと…
 
そのひとは、T君の新しいお母さんだった。

T君のお母さんが亡くなってから、それほど経っていないのに
もう新しいお母さんがいる事
そのひとが、田舎では見た事がないくらい
きれいだった事に違和感を覚え、母にそう話した。
私の母は、大人の話は一切こどもに聞こえないようにする人だったが
T君や妹さんのために新しい母親が必要だと、周りが再婚を薦めたのだろうと
何だか言い訳のように、私に言った。
そして妹の方は、新しいお母さんによく懐いたけれど
反抗期のT君が新しいお母さんを受け入れず、学校にも来なくなったらしい。
 
パンを届けた時、T君のお母さんが泣き顔の日もあった。
もし私がT君を励まして、一緒に学校に行こうよと誘う事が出来たなら
このひとは救われるのだろうか。
想像してみたけれども、出来そうにない。だって私も学校が大嫌いなのだから。
 
それから私は、T君にパンを届けなくてもよい事になった。
先生の判断か、T君の家が私に気兼ねしたのか解らないけれど。
私は、少しほっとした。
事情を知らない男子達に、どうせTはズル休みだろう?といちいち聞かれるのも嫌だった。
ズルは、こども達にとって最も蔑まれる行為である。
T君は同情ではなく、軽蔑されるようになっていた。
 
そして、T君は何カ月休んだか解らない。
もう誰も「T君、今日は来るかな?」等と言わなくなっていた。

 

ある朝の授業中、廊下の方が騒々しくなった。
T君がお父さんに引きずられ、教室の手前まで来ていたのだった。
T君は全身の力を振り絞って暴れ、大声を出して激しく抵抗した。
お父さんも、T君を力づくで何とか教室に放り込もうとしたが
T君の抵抗の方が強かった。
騒然とする教室。お父さんは

「皆さん、本当に申し訳ない。
お騒がせしてごめんなさい。Tも一緒に、授業を、受けさせてください」
と、必死の形相で言った。
廊下の隅ではお母さんが、涙を拭いながら立っていた。
T君は「嫌だ!放せ!学校なんか嫌だ!
お父さんなんか大嫌いだ!みんな、みんな、大嫌いだ!」
と暴れながら、わあわあ泣きわめいた。
 
その時であった。
担任のK先生がつかつかと歩み寄り、大きな声で「T!」と叫んだ。

「甘ったれるな!
お前にはお父さんの気持ちが、解らないのか!」
 
何が起こったのか、解らなかった。 
一瞬で、T君は吹っ飛ばされた。
 
凍りつく教室。
T君は床に転がったまま、泣きじゃくっていた。


「しっかりするんだ、T。亡くなったお母さんはTの事を、いつも見ているんだよ」
そう言うとK先生は、T君とお父さんに頭を下げた。
お父さんはT君を連れて帰って行った。
 
教室では、ほとんどの女子が泣いていた。
怒ると本当に怖い先生だったが、これほど怒ったのを見るのは初めてだった。

「みんな、驚かせてすまなかった」
と、深々と頭を下げた。
「さあ、授業の続きをやろう」
K先生は明るい声を出したものの、そこで終業のベルが鳴り
緊張していた私達は、少し笑った。
 
それから数日後
T君はお父さんの仕事の都合で、転校する事になった。
T君は両親と、小さな妹と一緒に教室にやって来た。
クラスの皆の前に立ち、お別れの挨拶をきちんとして
T君は少し寂しそうな笑顔で、去って行ったのだった。

 

「学校というコンクリートの塊にいれられて」より引用