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いつかはいなくなる、親のこと⑤

東京では不規則な生活の私だが、岩手に帰省すれば不思議と早起きになる。

ホテルの部屋の窓からは、海も山も見える。夜が明けていく町の様子をぼんやりと眺めた。貧乏くさいつまらない町だと思っていたが、そうではなかった。今の私は、海と山が近くにあるだけで泣きたくなる。

帰省2日目。台風が近づいていて、ぶ厚いグレーの雲が重たそうに見える朝だった。

急いで身支度をして部屋を出た。どんなに早起きしても母はもっと早く起きていて、私が来るのを待っている。

フロントにダメ元で聞いてみたら、ホテルの自転車を貸してくれた。その自転車を夜まで自由に使える事になった。

私は自転車に乗って町をぐるりと回ってみたが、商店街のシャッターはまだ閉まっているし、人も車もまばらだった。

マクドナルドが開いていたので、テイクアウトした。友人のお婆さんは齢90を過ぎているが、マックが好物と聞いて驚いた。母はマクドナルドに一度も入った事がないだろう。

ジャンクフードでも何でもいいから、口にして欲しい。

家に入ると母は、いつもの指定席に座っていて「遅かったなあ」と言った。

朝ご飯を食べたか聞くと「食べた」と言うが、本当かどうかは解らない。

私はチーズバーガーとハッシュドポテトを小さく切って皿に盛り「食べた事ないでしょう?食べてご覧」と、母に差し出した。

「これは何?」

「パンとじゃが芋。柔らかいからお婆さんでも食べるっけよ」

母は「今食べたばかりだから、これは後で食べる」と言って皿をテーブルの隅に押しやった。私はコーヒーと残りのチーズバーガーを朝ご飯にした。

「今日は、姉ちゃんが来るまで掃除。姉ちゃんが来たら病院に行くからね」

「姉ちゃんが来るって?うちさ来るって?」

「そう。予定があったけど変更したんだって。入院手続きとか、いろいろあるからね」

「入院って誰が?」

「お母さんに決まってるでしょ」

「おれは入院なんか、しねえがや?」

「検査したでしょう?その結果次第では入院だから」

「しねぇ、しねぇ、入院なんか」

そうだった。母は昔から入院をしなければならないような状況でも入院を拒んで、家で臥せっていたのだ。

「少しの間だけ入院して、点滴で栄養つけてもらえばいいじゃない。家にいて具合がもっと悪くなるより病院にいた方がすぐ診てもらえるし。その方が私達だって安心だし」

母は聞かなかった。入院したらそのまま死ぬまで出られないと思い込んでいた。

「入院は嫌かも知れないけど、仕方ないでしょう?私はお母さんにもっと元気になって、残りの人生楽しんで欲しい」

母は少しだけしゅんとしていたが、姉が来るのは嬉しいようで

「何時にあっちを出はったべか?」「姉ちゃん何時に着く?」「旦那さんも一緒に来っつうが?」とうるさく聞いてきた。

 

 

しばらくして姉が到着した。

姉は玄関を開けるなり

「ねえ、何?あの汚いの。生ゴミが家の前に落ちているんだけど!」と聞いたので

「ああ、それはお母さんがね、カラスに餌をやったの」と笑いながら言った。しかし姉は

「カラス!だめだめカラスになんか餌やっちゃ。ご近所迷惑!」

「なぁに、カラスはきれいに食べんが。うちの前だし大丈夫」母はそう言ったが、姉の剣幕は収まらなかった。

「大丈夫じゃないよ。いくらうちの前だからって、隣り近所は嫌がるんだからね!もう絶対にしないでよ!」

そして姉は、さっさと生ゴミを片付けてしまった。隣り近所といっても人の気配が殆どないので、そんな目くじらを立てなくてもと思ったが黙っていた。いつだって姉の言う事が正しいのだ。それに母は、姉が帰ればまたカラスに餌をやるだろう。

「お母さんが、入院なんかしないって言うんだけれど」

私は話題を変えようとしたのだが、これがますます姉の逆鱗に触れた。

「入院しなくても、ほれ、この通り。おれは大丈夫」

「入院かどうか決めるのはお医者さん。検査の結果次第なの!お母さんが決めるんじゃないから!」

これには母もしょげて黙ってしまった。

 

それから私と姉は、父の見舞いに行った。

父は昨日と同じように、昼食のトレイを足元の台に置いたまま眠っていた。

眠っている老人は、私のイメージする父とはまるで別人だった。

「こんなに小さかったかねぇ?かなり大きな体つきだと思ったけど」

「食べなくなったから、だいぶ萎んだかもね」

姉は戸棚を開けて紙おむつの残りを調べたり、看護師との筆談のやり取りをチェックしていた。

やがて父が目を覚まし、姉と私に気がついた。

 

どちらが、タンポポでしょう?

 

姉が紙に書いて父に見せると、父は面白がってわざと姉の方を指差した。そして楽しそうに笑っていた。

昨日よりもご機嫌なのは、姉が来てくれたからだ。母が身動き出来ない状態なので、今後は姉に頼るしかないと解っているのだ。

私はふと、昔にも父とこんな風にふざけて笑い合った事があるような気がした。

それは本当に気のせいだった。物心ついて記憶にあるのは、人を罵り嘲って笑う父の姿ばかりだから。

でも、もしかしたら私の記憶よりずっと前には、我が家にも普通の家族の団欒があったのかも知れない。そうだとしたら、父はどうして狂人になってしまったのだろう。

父は昨日私に話した事を、姉にも繰り返した。

「おそらく俺はもう、ダメだ」

「バチが当だったぁのさ」

そして、唐突に

「かがさま(母)を、大事にせぇ」

と言うので、姉と私は顔を見合わせて驚いた。

「こりゃ大事件だ!まさか父がこんなことを言うなんて」

「大事にせぇって、私達は十分大事にしてるよね。お前がしろよだよ。何なの今になって」

私達は父が聞こえないのをいい事に、父の前で口々に言った。

 

「あれには驚いたね。いよいよ死期を悟ったか?」

帰りの車の中で、私は姉に言った。でも姉は

「今さら改心したところで、私達がこれまでに受けてきた仕打ちを水に流すなんて出来ないから」

と言い放った。

不本意でも長女の責任を果たしてきた姉は、父と一切関わらずに生きてきた私よりもずっと多くの恨みを抱えてきたのだろう。

「出来っこないよね…」

「それでもあんな姿を見ちゃうと、ちょっとは憐れかも」

憐れと言えば、憐れだけれど…

私は再び歩けなくなり生きる気力を失った父親を見ても冷やかな自分の方が、よほど憐れに思えていた。

今まで私は、倒れた父親を案じて涙を流す人や、父親を亡くして慟哭する人を見る度に「お気の毒」と口では言いながら、心の底では羨ましいと思っていた。

なぜならその悲しみは、父と子が強い絆で結ばれている証であり、父親から深い愛を受けてきた人の感情だから。

私にはそれが羨ましくて、羨ましくてたまらなかった。そして自分が同じ立場になった時にはきっと、悲しむ事はないと思っている。

人として当たり前の感情すら持てない自分はまるで不具者か何かのようで、自分が憐れで仕方がなかった。