w a k u r a b a

文芸メイン、その他もろもろ

いつかはいなくなる、親のこと③

タクシーの運転手に行き先を告げると、寺を抜けても良いかと聞かれた。

私は構わないと答えた。父の入院している病院は、以前は駅前にあった。それがいつの間にか山の方へ移転して、私は一度も行ったことがない。

寺を通るルートは曲がりくねった坂道で、ガタガタと酷く揺れた。

寺の墓地には祖母や、昨年の夏に亡くなった伯母の墓がある。立ち並ぶ墓を見ながら、私は心の中で「ただいま」と言った。

唐突に運転手が話しかけてきた。

「昨日、病院から家まで私がお母さんを乗せたんです」

「ああ、そうでしたか」

それは奇遇だけれど、だから何だと思っていると

「お宅のお母さん、元気なおばあちゃんだったぁども、何だか急に衰えたぁがね。ついこないだまでは、まるで元気にしてだったぁども」と言い出した。

私は慌てた。そうだ、ここは田舎だった。どこかの家で変わった事があれば、たちまち広まってしまう田舎なのだった。

「父が入院してひと月になるから、その疲れが出たのだと思います」

「そうなんだぁごったぁがね(そうなんでしょうね)」

世間中が知っているのだ。実家の事を。半身不随で耳の聞こえない父は、タクシーを利用しても暴君であっただろう。その父が場外馬券場で転び、入院した事も自業自得だと噂されたに違いない。

私の気持ちは一気に暗澹とした。父の見舞いなどさっさと済ませて、母と出かけよう。

小高い山の上に病院はそびえ立っていた。

外来の診療時間外のため、フロアには誰もいない。入院病棟へ行き、ナースセンターで父の病室を聞いた。

父は、6人部屋の窓際のベッドに眠っていた。

同室の人達もおじいさんばかりで皆こんこんと眠っており、部屋は静まり返っている。

父のベッドの足元には、昼食のトレイが手付かずのまま置かれていた。

それを見て(本当に、食べないんだな…)と思った。

 

入院して以来、父は食事もリハビリも拒否しているらしいと、姉から聞いていた。

お粥、魚、野菜の煮物。缶入りの栄養補給剤。

いくら我儘でも腹がすきゃ何でも食べるだろうに。

私は手持ち無沙汰で父のベッドの周りをうろうろしたり、引き出しを開けてみたりしたが、父は寝息をたててぐっすりと眠っていて目を覚ましそうになかった。

このまま帰ろうかと思ったが、せっかくここまで来たのにタクシー代が勿体ない。私は昨夏に母が伯母にしたように、ポンポンと強く肩を叩いてみた。

すると父は目を覚まし、ぼんやり不思議そうに私を見ていた。やがて「ああ、」と解ったような声を出した。

「パーマ屋に、行ってきたのか」

ふん、私を姉だと思っている。

先日姉が父を見舞った時、髪が乱れていた姉に「これでパーマ屋に行ってこい」と、1万円札を差し出したという。「こんな事は、生まれて初めて」と、姉が興奮気味に話してくれた。

私はタンポポです。

そう紙に書いて見せた。しばらく黙っていた父は「ああ、そうだったのか」と、さして驚きもせずに言った。

父は数年前から薬の副作用とやらで耳がよく聞こえない。それでも自分は何でも言いたい放題だから、不自由はないのだった。

父はしばらくの間、いろいろな事を喋り続けていたが、その半分以上は何を言っているのか解らなかった。父の方言がきついのと、妄言なのか本当の話なのかも判らない。だからあまり真剣に聞かなくてもいいと思いながら、ふんふんと聞くふりをしていた。

そのうちに「俺はバチが当だったから、こんなになった」とか「死ぬ前にあいつには金を返さねえばなんねぇ」とか何とか、懺悔を始めた。父の話はあまりにもクズ過ぎて、聞くに耐えなかった。

ああ、この人は自分がもうすぐ死ぬと思っている。

こんな人でさえもあの世に行く前に、人は悔い改めようとするものなのか。

 

私は、娘がくれたケーキの事を思い出した。

孫がおじいさんにってカステラを持たせてくれたけど食べる?

娘のケーキはパウンドケーキだったが、通じないだろうからカステラと書いた。父はケーキをちらりとも見ずに「かんねぇ(食べない)」と言った。

やっぱりね…と思いながらケーキをしまっていると「孫というのは、山形の孫か?」と聞いてきた。

山形の孫というのは、姉の子の事だろう。その子が山形に居たのは大学時代の4年間だけで、今は結婚して山形にはもう居ないのに。

山形ではなくて、東京の孫

と書くと

「東京の孫?俺には東京さも孫がいんのか?」

と大声を出したので、私はのけ反るほど驚いた。

「いっぺぇ、孫がいんなぁ!」

と、父はひとりで大笑いしていたが、笑い事ではない。

昨年の帰省では、父はまだ娘の名前を憶えていた。山形の孫〇〇の名前も覚えていた。昨年はその〇〇が里帰り出産し、父にとってはふたり目の曾孫が出来た。

赤ん坊の写真を撮り、父に見せた時には

「誰の子だ?」と聞いてきた。

〇〇の子

 すると父はとても驚いて「〇〇は、いつの間に結婚したのか?」と大声を出し、私と母を戦慄させたのだった。

 

人が長く長く生きて、最後まで覚えていられる事は何なのだろう?

父はいつ、私の事を忘れるだろう?

早く忘れてしまえばいい。もう忘れてくれていいのに。

そんな事を考えながら、私は病院を後にした。