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受験勉強をしないで試験を受けた 私のこと

今週のお題「ちょっとコワい話」

 

 

 

これまでも度々書いてきたが、私は勉強が嫌いだった。

嫌いだが学校には一応通った。同学年の生徒が300人以上もいたが、登校拒否をする子などいなかったと思う。

中2の時に父親が脳出血で倒れ、市外の大きな病院に入院した。

一時は生死をさまよった父は一命を取りとめ、その代わりに半身不随となった。私は、もしかすると父が死んでしまうかも知れないのに少しも悲しくない、冷淡な子どもであった。ただ、母が父の看病と仕事で疲れ果て、今にも倒れそうな事だけを心配していた。

当時、姉はお嬢様でもないのに市外のお嬢様高校に通っていた。高額の学費と寮費の捻出が不安になった母は、姉を中退させて家業を手伝わせようかと言いだした。さすがにそれは姉が可哀そうで、反対した。高校だけはちゃんと卒業させなければと周りからの説得もあって、姉は中退を免れた。

そんな状況の中で、私は将来の夢を見る事無く、親が不在がちの家で空想の世界に浸っていた。

 

中3になり、志望校を決める三者面談が行われた。

地元には高校が4校しかない。私の事をやれば出来る子と思っていた母は

「トップ校を受けさせたいが、どうしても無理でしょうか?」と、担任に訊ねた。

担任は、眉間にシワを寄せて腕組みをした。

私の成績は5段階評価で国語、美術、家庭科が5、英語と音楽が4、数学、理科、社会が3、そして体育が2という状況で、つまり内申点はそれほど悪くないけれども、5教科が弱かった。

「あと1教科5にする事、3の教科も4にしなければ。それでも合否は五分五分で、例え合格したとしてもついていくのが大変だろう。体育の2も、あってはならない」と言った。

それを聞いた私は「無理。志望校のランクを下げます」と即答した。

「頑張ってみようともせずに、簡単に諦めるなんて情けない」と母はいつまでも嘆いていたが、気にしなかった。4を5に、3を4になんて簡単に言うけれども、どの教科も今以上の成績に上げるなんて不可能だと思った。

今だって数学は限りなく2に近い3で、体育は「本当は1だが真面目に授業を受けているから2」と、体育教師に言われるほどの運動音痴だった。

それに努力してトップ校に入ったとしても、大学に行かなければ意味がない。姉の学費にさえ困る我が家に、進学費用があるとは思えなかった。無理に入学した高校で落ちこぼれるのも嫌だ。

そして私は、受験勉強を全くせずに過ごした。

2学期の文化祭が終わると、教室は急に受験モードに変わり皆がピリピリした。そんな中で私だけが、詩を書いたり小説ジュニアや漫画本を読んでばかりいた。

勉強をしないわりには模擬テストの結果が良く、母は最後まで「やっぱりトップ校を受けてみたら?」と言い続けた。

 

 

高校入学試験当日。

最初の科目は国語だった。

国語は得意なので、模擬テストではいつも高得点だった。その他の教科が出来ないのだから、せめて国語だけは満点を取っておきたい。

解き進みながら、模擬テストよりも簡単だと思った。時間はあり余るほど残っていた。最後は作文だけである。

ことわざの「灯台下暗し」を使い、文章を書けという問題だった。私の鉛筆が、ピタリと止まった。

 

 

灯台下暗しって…?

どういう意味だろう?

 

私は、本当にそのことわざを見聞きした事がなかった。

どうしよう。解らない。

書けない…

落ち着け。よく考えれば何か思いつくはず。

灯台って、あの灯台でしょ?

岬にあって、船に光を送っているあれ。

灯台、もとくらし

とうだいもとくらし…

トウダイモトクラシ…

 

さらさらと鉛筆を走らせる音が、周りの席から聞こえた。

それなのに私は、ひと文字も書けずにいた。

そういえば…

模擬テストの答え合わせをした時に、誰かが作文問題が苦手だと言った。私は、作文なんて書きさえすればいいのだから、他の問題よりも簡単なのにと思いながら聞いていた。

その時「とにかく何でもいいから書け。絶対に空欄のままで出すな。指定された文字数の9割以上を文字で埋めるのだ」と国語教師が言ったのを思い出して、ハッとした。

何か書かなくては。

もう時間がなかった。

「灯台下暗し」が何なのか、まるで見当がつかないどころか、私の頭の中には何故かこの言葉だけが浮かんで離れなかった。

 

東大デモクラシー

 

何なの?

こんな時に「東大デモクラシー」って何?

違う、東大じゃなく灯台だよと、泣きそうになりながら、書くしかなかった。

 

課題は「灯台下暗し」なのに、それを知らないこと。「灯台下暗し」について考えていたら「東大デモクラシー」を連想したのだが、それが何かも解らないこと。私は受験勉強不足だった事を深く反省し、帰宅したらことわざの勉強をする…などと一気に書き上げた。

指定された文字数ぴったりに句点を打ったのと同時に、試験の終了が告げられた。

 

休み時間に仲間達と集まり、出来具合を報告し合った。

「意外と簡単だったよね?」と皆が口を揃える中で

「ねえ、灯台下暗しって、どういう意味?」と聞くと、皆が驚愕した。

「人は身近な事に案外と気付かないっていう意味。タンポポ、まさかこれを知らなかったの?」

「うん、初めて聞いた。だから私の作文、ボロボロだよぅ」

「嘘でしょ?ことわざ問題の基本中の基本じゃないの」

「タンポポ、ちょっとヤバいよそれ~」

 

あんな作文では点がつかないだろうな…でも、今更どうしようもない。次の教科で頑張ればいい。次も。その次の教科でも。

そう自分を奮い立たせたが、その他の教科も全然出来なかった。国語では作文以外にも、漢字問題のミスに気がついた。肝心の国語がこれでは、たぶん不合格…絶対に不合格だと思った。

 

どうしよう。

 

中学では不合格者を出さないために、徹底的に志望校の振り分けをしていた。担任が私に無理なトップ校受験を薦めないのも、そのためだった。だから、誰かが落ちたという話をあまり聞かない。不合格だとどうなるのだろう?市外にある私立の二次募集を受けるか、浪人するか、中卒で就職するのか…

経済的理由で中退させられそうになった姉がまだ卒業してもいないのに、私まで私立に行ける訳がない。

しかも姉と同じお嬢様私立ではなく、不合格者ばかり集めた底辺私立になど入りたくなかった。

これからどうすればいいのか、真っ暗なトンネルの中に取り残されているような気持ちで発表日まで過ごした。

 

そして、合格発表の日。

私は、落ちていなかった。同じ高校を受けた仲間全員、合格していた。

私は嬉しさよりも、驚きの方が大きかった。

あの酷い出来で、よくもまあ合格したものだと我ながら呆れていた。

春休みになり、髪を切りに美容院へ行った。

すると、後頭部に硬貨大の禿があると言われた。

「きっと、受験のストレスだね。すぐにまた生えてくるから、気にしない方がいいよ」と美容師に慰められたが、受験勉強をしていないのだからストレスなど感じていなかった。

おそらく、試験が終わってから合格発表までの間に抜けたのだろう。

 

 

何十年経った今でも私は、時々思い出して可笑しくなる。

あの作文を読んで採点した人は、どんな風に思っただろう。

そして「東大デモクラシー」だなんて一体どこから出てきたのか、そもそも「東大デモクラシー」って何なのか、未だに解らないままなのだ。