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文芸メイン、その他もろもろ

卒業文集

高校時代は、ひどく退屈だった。

その頃の私は、自分で自分の事をサイダーの泡のようなものだと思っていた。

浮かんでは消えて、また小さく現れて浮かび、消える。

クラスの中で、いるのかいないのか解らないような、透明な存在。

それでよかった。

私は本当に、透明でいたかったから。

進路を決める時期に、私は絵本作家になるための専門学校に行こうとしていた。

当然周りは「そんなところに行っても、絵本作家になれるわけがない」と言って反対したが、聞かなかった。

その学校は1名だけ授業料免除の奨学生制度があり、それに申し込んだ。

一番好きな絵本の感想文を出すのが条件だった。

その自信はいったいどこから来るのか解らないが、私は落ちる気がしなくて意気揚々と感想文を書き上げた。

ところがその感想文に同封する願書に、私はコーヒーカップを倒して汚してしまった。

慌てて拭いたけれど、願書にはうっすらと染みが残った。

高校で記入する箇所があり、担任に見せると「お前、これじゃ落ちるぞ」と言われた。

書類を改めて送ってもらう時間はない。仕方なくそのまま提出し、担任の言った通りに私は落ちた。

 

それから私は、代わりになる自分の居場所を決めなければならない。

求人は地方銀行等からもたくさん来ていたが、そろばんや簿記の検定を真面目に受けなかった私を高校が推薦するはずがなかった。

私は求人票の中から一番給料が高く、寮のある都内の洋品店に決めた。どこで何をしようと、やりたい事ではないのだからどこでも良かった。

面接を受け、その場で採用された。

クラスの中で一番早く、進路が決まったのが私だった。教室の中に、焦りと動揺が広がっていた。

東京に憧れがあるわけでなく、ただ早く家を出たかった。4月からの自分の生活に目途が立った事が嬉しかった。

それでもその嬉しさは、決して表に出してはいけない。私は透明なままで高校生活を終わらせるつもりだった。

日が経つにつれて、同級生たちの進路もぽつぽつと決まっていく。

進学するのはほんのわずかで、ほとんどの生徒が就職するような高校だった。

同級生から「タンポポはいいよね!もう決まったんだから」と八つ当たりされる事もあったが、私はただ笑って誤魔化すしかない。

 

そんな日々の中で、どうしてそんな事を思いついたのか解らない。

私はひとりで職員室に行き、担任にこう持ちかけた。

「うちのクラスだけの文集を作りたい。皆忙しいので、ヒマな私が全部やりますから」

担任はあっけにとられて、少し考えていたが

「そうか。じゃあやろう」

とOKを出してくれた。

翌朝のホームルームで私は立ち上がり、全員に説明をした。

ひとり1枚、A4の紙に何でもいいから文章を書く事。例えば高校生活の思い出と将来の事を半々とか。イラストを入れてもいいし、自由です。〇日までに提出してください。

寝耳に水状態の同級生達は、どよめいた。

「急にどうしたのタンポポ?でも面白そう。やろうやろう。私も手伝うよ」と喜ぶ女子もいたが、予想通り「はぁ~?何だそれ?かったりぃ」と、うそぶく男子もいた。

「オレは書く事なんか、何もねえよ」

「だから、内容は自由です。例えば私は、こんなふうに書きました」

私は自分の原稿をみんなに見せた。

「何でもいいんです。ただ、10年後や20年後に読んだ時に、今の自分を思い出せるような内容がいいと思います」

教室中が騒がしくなったので、担任がまとめた。反発しそうな数人の男子の名前をあげて「ちゃんと書いてやれよな」と言った。

 

原稿は、あっという間に集まった。

やはり男子が数人、なかなか書かないのだったが、私が催促しなくてもクラスの優等生女子や可愛い女子が「タンポポが困ってんじゃん。早く出せー」と言ってくれた。

編集長の権限で、私は全員の原稿を最初に読む事が出来た。

文章メインでと言ったのにイラストばかりの人もいて、再提出させようかとも思ったが揉めたくないし、なかなかの力作であったのでそのままにした。

男子の原稿を読むのは、とても面白かった。

ずいぶんと大きな事を書いているけれど、大丈夫?

今の恋愛話を書いているけれど、これ、ずっと残るんだよ?

私は、子供の頃に被害に遭った性犯罪のトラウマで、同世代の男子と話が出来ない高校生活を送ってきた。

無口な女子なら他にもいたけれど、女子や教師とは普通にしているのに男子との会話を避ける私は奇異な存在であったと思う。

けれども私は3年間透明でいる事で、それを表立たせずに済んでいた。そして卒業が近づく頃になって、トラウマも少しずつ薄れていた。

 

原稿が全部揃うと、私と何人かの女子で印刷した。

製本するのには幾らかのお金が必要だったが、クラス費が少し余っているのと担任のポケットマネーで賄ったらしい。

熱血教師であった担任は、何とか形になりそうなクラス文集にまんざらでもなさそうだった。

私は学科の教師達にも寄稿を依頼した。更に思いついて、自分の原稿とは別に一編の詩を載せる事にした。 

 

 

「いつでもそこで」  立原えりか

 

いつでもそこで日が暮れた

道しるべはからっぽで

海は 迷子になっていた

 

舟を作ろうと思いつくと

帆がなかった

天に昇ろうと思いつくと

はしごがなかった

 

少年は さかなになりたいといい

少女は かもめになりたいといい

ふたりとも大人にしかなれなかった

 

今もそこで日が暮れる

道しるべは街角をさして

夏はもう 知りつくした匂いがした

 

 

出典が見つからずうろ覚えだが、このような詩だった。

担任がこれに異を唱えた。

「詩を載せるのは構わないが、別のにしなさい。もっと明るい、未来や希望がある詩がいくらでもあるだろう」と。

けれども私は編集長の権限で、この詩を載せた。

担任はそれを、最後の最後まで不満そうにしていたが無視した。

私は知っていた。

夢を見れば、なりたいものになれるだなんて幻想だ。

私達は、大人になるしかないのだと。

 

高校時代に限らず、これまで何もなし得て来なかった私が唯一作り上げたもの。

それが、あの卒業文集だった。

そして私は、自分から言い出して作ったこの文集の存在をすっかり忘れて過ごしてきた。

東日本大震災が起きてから実家に戻るようになった私は、埃をかぶったこの文集を見つけとても驚いた。

自分の書いたページは、死ぬほど恥ずかしくて直視出来なかった。

私達は、大人にしかなれない。

果たして大人にさえなれていたのか解らない。

担任のアドバイスも平気で無視したあの頃の私と今の自分は、見た目以外はそう変わっていないように思うからだ。

 

文集を作る事に反発した男子は、大きな被害に遭った町に住んでいた。

あのオレンジ色の文集の何冊かは、海の底に沈んでしまったかも知れない。