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アヒル④

 

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何が起ころうと、父と母の修羅は終わらなかった。

いくら私達が、小さな積み木を積むようにして家族の歴史を重ねても、父はそんなものと言わんばかりにぶち壊し、全てを台無しにした。

この修羅はきっと、二人の命ある限り続く。どちらかが逝った後にも残った親が、私達の足枷となって生きていく。

諍いを母から聞かされる度に、私はストレスで具合を悪くしていた。それは、姉も同じだった。

でも弟がどんな気持ちでいたのか、私達には知る由もない。

 

足が不自由な父は姪の結婚式に来られず、父以外の親族が東京に集まった。

その4か月後に、東日本大震災が起きた。

生まれ育った町も激しく揺れ、大津波が何度も容赦なく襲う。

河口近くの川沿いにある実家は恐らくもうダメだと、私は覚悟を決めていた。

母は、足の悪い父を置いて逃げたりはしない。

テレビを食い入るように見ながらなす術もない私に、姉からメールが来ていた。

「どこもかしこもメチャクチャで、まるで原爆でも落ちたかのよう。今から車で実家に向かう。」

実家に向かう?やめて、やめて。

東京でさえ、まだこんなに揺れているのに。

その後、弟からもメールが届いた。4か月前にメアドを交換して、これが初めてのメールだった。

「家は無事、父も母も無事」

 

父も母も、無事…

 

私は、床にへたり込んだ。

私は弟に「姉も家に向かっている」と返信した。すると

「国道が通行止めだから、引き返せと連絡して。」という返事が来た。

仕事の関係で弟は、いち早く被災地入りして実家の前を通り、安否確認が出来たのだった。

けれども、姉からはしばらくメールがなかった。姪が泣き声になって

「お母さんと連絡がつかなくなった」と電話をしてきた。

「大丈夫。通行止めで沿岸の方には近づけないみたい。もうすぐ戻って来るから。」

姉の携帯は、電波が届かなかっただけだった。姉は実家に向かうのを諦めて自分の家に戻り、弟からの報告に安堵した。

 

 

それにしても姉と弟はこんな時、真っしぐらに親元へ向かうのかと、私にはそれが衝撃であった。

暗い山道を、2時間も走らなければならないのに。大きな余震が続いていて、無事にたどり着けるかどうかさえ解らないのに。津波にのまれるかも知れないのに。

 

あんな親なのに。

 

故郷は甚大な被害を受け、知人が津波に流されて亡くなった。それなのに父は、自分の生き方を省みる事なく、傍若無人な振る舞いを続けた。

犠牲になった人を侮辱するような言葉まで吐くのだと母から聞き、父を心の底から軽蔑した。

東京の知人達は、実家の無事を喜んでくれたが

「無事じゃない方が、良かったの。」

私はそう口走っていた。知人達が私を軽蔑したとしても、どうでも良かった。

 

震災の後、私は思うところあって、ずっと帰らなかった実家に年に一度は帰省すると決めた。そして弟の休みが合えば、実家まで車を出してもらったり、ご飯を奢らせたりした。

それまでの私達は、互いの距離の置き方が解らなかった。

皮肉な事にあの震災が、私達は家族だったと気づかせてくれたのだ。

そして、昨夏に帰省した時の事だった。

母と弟と私とで外食に行った。頼んだものが出来上がるのを待つ間、弟が唐突に手を差し出して私に見せた。それも、火傷をした方の手を。

「俺、この手を手術した。」

「えっ?そうなの?」

弟が自ら手を見せたのは初めてだった。私は少し動揺し、差し出されたその手を直視出来なかった。

今の形成外科学でもこの程度なのか。ケロイドはまだ残っていて、きれいに治ったねとはとても言えない。

弟は見た目ではなく、癒着していた指と指が離れた事に満足していた。そして、長い間曲がっていた指が、少しは伸ばせるようになった。でも、完全に真っ直ぐには伸ばせないのだと少し悔しそうに言った。

弟は、火傷の痕をずっと気にしていたのだった。

手に大きな傷痕があっても、弟は勉強も運動も出来て器量も良い。世の中にはハンデのある人が大勢いるけれど、弟の手は機能していて出来ない事は何もなかった。

だから、弟はこの傷痕を受容しているものと思い込んでいた。

昔、手術の話を持ちかけると「手術は絶対に嫌だ。このままでいい。」と泣いたのは、子どもだったから怖かったのだろう。

弟が成長してからは

「〇〇の手が可哀そう。手術してあげなさいな。年頃になって女の子と手をつなぐ時に恥ずかしくないように」等と、伯母が母に言った。

それを聞いた私は憤慨した。

何も恥ずかしくなんかない。反対側の手を繋げばいいじゃないの。それよりも、あんな手だからと繋げないような相手など、こっちからお断りだ。

母は何度も手術の話をしていたが、弟は頑なに拒んできたのだった。

 

弟は今も独身で、一人で暮らしている。

母の関心事は、弟の結婚だけだ。

なぜ結婚しないのか、結婚したいような相手がいるのかいないのか、自分が聞くと怒られるからタンポポから聞いてみてと、煩くて仕方がない。

数年前までは

「どうしてだろうね。お付き合いした人は何人かいたみたい。だけど、なかなか結婚までには至らないねぇ」等と話し相手をしてあげたが、何年も繰り返すこの話題にウンザリした。

「もういい加減に諦めたら?結婚なんか今更しなくても、独身貴族でいいじゃない。別れる人も多いのだし、別れないで不幸な人がここにいるでしょう?」

皮肉を言っても通じない。

「どうして結婚しないのかなぁ。私とお父さんがいるから出来ないのかなぁ。」

と言うので

「そうね。それが一番の理由だろうね。」と言ってやった。

そうすると、タンポポは冷たい。姉もきつい。やっぱり〇〇が一番可愛いと周りに言いふらすのだった。

実の娘でさえあんな父とは一緒に居られないのに、お嫁さんと上手くいくはずがない。弟はきっと、お嫁さんの苦労が目に見えているから結婚に踏み切れないのだろう。

家庭の築き方が解らないのかも知れない。或いは、父親になりたくないのかも知れない。

私がそうだ。結婚しても家族関係が上手くいかず、理想の親にもなれなかった。

でも母は諦めきれずにいた。

ある時「見てご覧」と言って、真珠のネックレスを私に見せた。

「これは、商売で儲かっていた頃に買っておいたもの。」

「フーン。それを私にくれるの?」

「とんでもない。これは、いつか〇〇のお嫁さんにあげるんだから。」

私は少々苛ついた。

「あっそう。私、持っているから要らないし。お嫁さんだってもっと良いものを持っているかもね。それにお嫁さんって、全然当てもないのに。」

「これをあげるまで、私は死なないの。」と言って、母は笑っていた。

 

実家の父と母には殆ど会話がない。沈黙か、父の罵声があるだけだ。私は母が認知症にならないよう、時々電話で話すようにしている。

先日もまた弟の結婚の話になって、私はそれを遮った。

「そういえばさ、〇〇が保育園に入ったの何歳?」

私はこの頃、昔の記憶が定かではない。でも母は、昔の事ならばよく覚えているのだ。

「2歳と9か月だった。本当はあと3か月、3歳までは預からないと言われたけれど、無理にお願いして入れたの。私がどうしても働かなければならなかったから…」

「そう。」

「私はね。たくさんの失敗をしてきたの。失敗だらけの人生。タンポポに全部教えるから、そのお話を書いて頂戴。」

「うーん。取りあえず聞かせてみて。」

すると母は、堰を切ったように昔の事を話しだした。

弟が保育園に入って、初めてのお遊戯会。開始時間は11時なのに、母は1時からと勘違いをした。

弟のお遊戯を見るのがとても楽しみだった。きちんとお化粧もして着飾って、まだかまだかと時計を見ながら待ちかねて保育園に行ってみると、もうお遊戯会は終わっていた。

弟は保母さんの膝にチョコンと座り、母が来るのを待っていた。そして保母さんが

「〇〇ちゃんは、とっても上手にお遊戯をしましたよ。」

と、母に言ったそうだ。

(なんて馬鹿なんだろう)と思ったが、黙って聞いていた。

「それから、あの火傷の時も…」と母は続けた。

私は、あの日の事はよく覚えているので、あまり聞きたくなかったのだが。

母が病院に駆け込んで、医者に弟の手を見せた。すると

「親指以外の4本の指を、切断する事になるかも知れません。」と宣告された。

それを聞いた母は膝がガクガクと震えて、立っていられなかった。

「そうだったの。でも、切断にならなくて良かったね。」

母は、そこにいた看護婦に酷い言葉を浴びせられたらしい。その事が今でも悔しくて、憎くて仕方がないのだと言った。

「タンポポは知っていたの?〇〇が、あの火傷の手で苛めにあっていた事を。」

「そうなの?知らない。〇〇を苛める子がいたの?」

母も、全く知らなかったのだ。

弟の通う中学校が荒れて事件が起きた時、緊急の保護者会が開かれた。

あまり学校に行かなかった母も、その会には出席した。そして、同級生のお母さんから当時の話を聞かされ初めて知ったのだった。

 

弟が小学5年か6年の頃だと言う。

学校から帰るといつも外に遊びに行っていたのに、何故か家の中でゴロゴロとしている日が続いた。おかしいと思い、どうして遊びに行かないのか聞いたけれども、弟は理由を話さなかった。ちょうどその頃に、苛められていたのだ。

 

縄跳びの紐で体を縛られ、廊下を引きずり回されていたらしい。

アヒル、アヒルとあざけって… 

 

苛めっ子は、嫌がる弟に「手を見せろ」と迫った。

指と指の間が薄い皮膚でくっついているのがまるで水かきのようだから、アヒルなのだと。

 

私は悔しくて、涙がぼろぼろと落ちた。

どうして弟は何も言わないのだ。そんなに頼りにならないのか。

その頃の私は高校生で、学校から帰るとすぐに自分の部屋に籠っていた。姉は実家から離れ寮生活をしていた。

もしもあの頃に苛めの話を聞いていたならば、私がそのクソガキをぶっ飛ばしてやりたかった。

悔しい。許せない。苛めた子が。自分自身が。

 

私はこの話を自分の心だけにしまっておけず、すぐに姉にも電話をした。

「なんて酷い事を…」と、姉は絶句し、きっと泣いていた。

 

私は今でも家族というものが解らない。

家族の作り方が解らない。

あの家は歪で脆く、家族とも言えないものだと思う。

それでも私達は、家族なのだ。

どんなに逃げ出したくても、無い事にしたくても、消えない家族。

よろよろぶざまな、アヒルの家族。

 

今度の帰省でも私はまた、あの家と対峙する。

母からどんな話を聞かされても、これからは決して涙を見せたりしない。

 

 

 

END