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アヒル③

 

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私が実家を出てから弟に会ったのは、姉の結婚式、そして私の結婚式の時だけだった。大学受験を控えていた弟はますます暗く、話しかけてもろくに返事もしない。

弟は父に反発し、父との溝はかなり深まっていた。だけど実家を出てしまった姉と私には、最早どうする事も出来なかった。

家庭内での悲惨な事件が報道される度に、私は他人事と思えず不安に陥った。

弟が父に逆ギレをして、あるいは母が、長年の恨みが積もり積もってニュースに流れるような事件をいつか起こしかねない…

自分だってあの家にまだいたならば、何をしたか解らなかった。だからこそあの家を出たかったのだ。

私は、遠く離れた実家の悪夢を見て目覚めては、憂いに沈んだ。

 

受験した弟は、超難関の大学に合格した。

大学の入学式には父と母が揃って上京し、私も案内役として付き添った。

桜の花びらが降りしきる、少し風の強い日だった。青く澄んだ空がとても美しかった。

両親は晴れやかな笑顔で「○○は凄い。本当に大したものだ。よくやった、よくやった。」と、大喜びした。

父も母も、私や姉の結婚式よりもずっと嬉しそうだった。そんな二人の様子を見て、私も幸せな気持ちになれた。

 

こんな日が訪れるなんて、まるで夢のようだ。

 

私は弟に心から感謝した。

もしかしたら、父と母はこの幸せのままで、穏やかに余生を暮らしてくれるかも知れない。

 

弟は私が住んでいた隣の区に部屋を借りて、大学生活を始めた。

私は娘が生まれ、育児に追われた。

近くに住んでいても私達は、殆ど行き来をしなかった。

夫の弟が大学生だった頃、義弟は隣の県で一人暮らしをしていたが、時々うちに来て私の作った晩御飯を食べたり、泊まっていったりした。

でも弟は人付き合いが苦手で、誘っても絶対に来なかった。

理由は忘れてしまったけれど、たった一度だけ弟がうちに来た事がある。

当時住んでいた狭いアパートで、弟は娘と初めて対面した。最初は乳幼児をどう扱っていいのか解らずに戸惑っていたので

「オモチャで遊んだら?」と言うと、二人は一緒に積み木遊びを始めた。

ぎこちない様子で少しはにかみながら、娘の相手をする弟。

私は笑いたいのを堪えながら、二人が遊んでいる姿をカメラに収めた。この写真を母に送ってあげたらきっと喜ぶだろう。

弟が積み木を高く積み上げるのを見て、娘は目をらんらんとさせた。やがて積み木はバランスを崩し倒れてしまう。

積み木が飛び散って大きな音をたてると、娘はキャーと大喜びした。そして

「もう一回ね。」と、弟に催促した。

娘が弟に積み木をひとつづつ渡し、弟が高く積み重ねていく。やがて崩れて「もう一回」を何度も何度も繰り返した。

弟は私に「これいつ終わるの?」と聞いたので「終わらないよ。永久に。」と言うと「マジで?」と絶望の色を浮かべたので、ますます可笑しかった。

 

そして私も、一度だけ弟のアパートに行った事がある。

弟の留年が危ぶまれ、心配した母が私に弟の様子を見てくるよう言ってきたからだった。

私は「部屋が汚い」と文句を言いながらその辺に座り込み、それとなく大学の講義や試験、サークル活動等、生活の様子を訊ねたが、弟は相変わらず話したがらない。

やっと合格した憧れの大学なのに、どうやら弟は真面目に通っていないのだった。

私は雑然とした部屋の中に不似合いな、可愛いオルゴールを見つけた。すると弟は、しまったという顔をした。

「何これ可愛い。大事なもの?」

弟は最初は口ごもっていたが、それは高校の時に彼女から貰った物だと白状した。

私は、弟に彼女がいた事にかなり驚いたが、平静を装ってあれこれと聞いた。

その彼女とはそれほど長くは続かなかった事、今は誰とも付き合っていない事が解った。

「フーン。じゃあこれ貰ってくね。」と言うと、弟は躊躇していた。

「だってもう別れたんでしょ?いらないよね?前の彼女の物をいつまでも残しておいてもしょうがないし。もしかして、まだ好きなんだ?」

「それはないけど…」

「貰おうっと。」

私が娘にオルゴールを渡すと、娘は無邪気に喜んだ。それを見て弟は

「まぁ、いいか」と観念した。

そして、私も大学の様子が見てみたかったので、もうじき開催されるという学園祭に連れて行くよう迫った。弟はそれもあまり乗り気ではなかったのだが、強引に約束を取り付けた。

 

学園祭は想像以上に賑やかで楽しかった。サークルが出す模擬店がたくさん並び、お祭り騒ぎの学生達。

弟は、このノリについていけないのだろうか。

漫研のブースを覗くと個性的なファッションの女子学生が似顔絵描きをやっていた。娘を描いてもらうと、短時間でサラサラと可愛く描いてくれた。

広々としたキャンパス。歴史と風格のある校舎。

「いいね大学って。どこでもいいから私も入りたかったなぁ。」

私は思わず呟いて、すぐに

「ま、私の成績じゃどこにも入れないけどね。」

と笑った。

ベビーカーを押しながらのんびりと歩いていると、女子の学生集団とすれ違った。彼女達はこちらを横目で見ながらヒソヒソと何だか嫌な感じだった。

「今の、私達の事を勘違いしてるよね?」

「きっとそうだ。うわぁ…」

弟は、今までに見た事がないほど狼狽えた。私は笑い転げながら内心(子連れはまずかったかな…)と思った。

今であれば学生結婚など少しも珍しくないだろうけれど、当時はあまりいなかったかも知れない。それに私達は、れっきとした姉と弟である。

私はキャンパスの雰囲気に満足し、早々に帰ることにした。別れ際に

「ちゃんと卒業してよ。せっかく入ったのだから。」と言って。

弟は、何とか大学を卒業出来た。

希望していた東京での就活は面接で上手くいかず、地元での就職だった。

 

 

それから私は自分の生活に追われ、実家をあまり顧みなくなる。

体を壊し心も病んだ私は、一日づつを必死に生きているうちに長い歳月が過ぎた。

本当に、あっという間だった。

そして、東京で勤務していた姪の結婚が決まり、東京で式が行われる事になった。

奇しくも結婚式会場は、弟が卒業した大学の最寄り駅にあった。

弟は、変わってしまった風景と、変わらずにあるものを見つけては懐かしそうに眺めていた。

弟に会うのは大学の卒業式以来であった。私も弟も、お互いの変貌ぶりに驚愕し、腹を抱えて笑った。

この時、娘は二十歳になる直前だった。娘は弟を「この人は誰?」と、不思議そうに見ていた。

積み木で遊んだあのチビすけが、いつの間にこんなに大きくなったのかと、すっかりオッサンになってしまった弟が目を細めて笑っていた。

 

 

 

 続く