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文芸メイン、その他もろもろ

アヒル②

 

tanpopotanpopo.hatenablog.com

 

 

私が母の代わりに保育園にお迎えに行くと、弟は必ず不機嫌になって泣いた。

「タンポポは嫌だ。お母ちゃんがいい。」

「お母ちゃんは忙しくて来られないの。だから我慢して。」

「嫌だ嫌だ。お母ちゃんでなきゃ嫌だ。」

ぐずる弟を引き摺るようにして、私は弟を連れて帰った。言い聞かせても手に負えないので、作り話をして弟の気を惹いた。

「〇〇が欲しがっていた仮面ライダーのオモチャをね。お母ちゃんが買いに行ってるの。だから、早く家に帰ろうね。」

「えっ?そうなの?」

弟は、大きな目を輝かせた。  

保育園児の足で30分かかる道のりを、弟はご機嫌で歩いてくれた。もちろん私は良心がほんの少しだけ咎めた。

家に着いて嘘がバレると、弟は火が付いたように泣いて暴れた。それでも私は無事に弟を連れて帰りさえすれば、後はどうでも良いのだった。

オモチャ作戦は、3度目には効果が無くなった。

私の作り話は次第に、演技力と巧妙さを増していく。

「今日は、〇〇の誕生日だよ。知らなかった?お母ちゃんが大きなケーキを買って来るって。あ、〇〇にはまだ内緒だった。」

「えっ?今日は僕の誕生日なの?やったー!」

「ケーキ楽しみだね。早く帰ろう。私から聞いたって言っちゃダメだよ?」

「うん。言わない。」

もちろん家にケーキなどあるはずがない。床にひっくり返って大泣きする弟を母が

「明日ケーキを買って来るからね。」と言ってなだめ

「全く、タンポポは適当な事ばかり言って」と睨むのだが

「仕方ないでしょ。こうでもしないと、お母ちゃんでなきゃ嫌だって泣くんだから。」と開き直っていた。

そのうち弟にも知恵がついて、オモチャ作戦も、誕生日作戦も効かなくなった。

それからは私が読んだ本の話をしてあげた。その頃の私は戦争や原爆の本を読んでいたので、学童疎開とか配給とか自分も知らない世界なのに、弟に解る易しい言葉で話して聞かせた。

「戦争中は食べるものがなくて、皆がお腹を空かせていたんだって。」

「そうなの?」

「布団の中で、お家に帰りたいって泣いていたんだって。」

「可哀そうだね。」

「クウシュウケイホウが鳴ると、ボウクウゴウっていう穴に逃げるんだよ。そこは狭くて中が真っ暗なの。」

「ボウクウゴウに入るの、怖いなあ。」

そんな話をしているうちに、家に着いてしまうのだ。

年長になるとぐずる事も少なくなり、自分から「何かお話をして。センソウの話がいい。」等と言うようになった。

私は物語を適当にアレンジして、30分興味が続くように話を盛った。

私の嘘が上手いのは、このお迎えの作り話で上達したのだと思う。

それから、弟が保育園から持ち帰る絵本を家で読んであげるのも、私の仕事だった。

弟はあっという間に平仮名とカタカナの読みを覚えてしまったので、カレンダーの裏を使って書き方も教えてみた。すると、それもすぐに書けるようになった。

弟が賢い事を母に伝えると、母はとても嬉しそうにして

「タンポポは教え方が上手だね。〇〇に算数も教えてあげて頂戴。」

と言った。

私が6年生の時、弟が小学校に入学した。

この一年間だけ私は弟と一緒に登校したが、下校時間は別々だった。これ程の年齢差があると、放課後に外で一緒に遊ぶ事はなかった。

 

 

家庭の中は相変わらずで、絵に描いたようなちゃぶ台返しをする父がいる限り平穏ではなかった。荒んだ家で私達は、それぞれが少しずつ心を蝕まれていく。

母の商売はとてもうまく行き我が家は少し裕福になっていたが、父はそのお金でギャンブルにのめり込んだ。

母は早朝から働きづめに働いて、身体を壊してもまだ働いた。

ある時母は何かの手術をして床に臥せっていたが、何の病気なのか聞いても絶対に言わなかった。本来ならば入院すべきところを、家をあけられないと言って家で寝ていたのだった。

そして、少し元気になればまた働いた。

ほったらかしにされる私達は、周りの友達より多めのお小遣いを貰った。でも弟は更に特別扱いだった。

私には安物しか買ってくれないのに、弟が欲しがれば驚くほど高価なブランドのスニーカーでも買ってあげるのだった。

そういえば、弟が保育園に入った頃から母は、弟にだけはいくらでも玩具を買い与えていた。

だから家には弟の玩具が山のようにあった。それは、母の後ろめたさがそうさせたのかも知れない。

成績優秀な弟は、父の自慢でもあった。

自分は高等小学校しか出ていないのに「〇〇は俺に似て頭が良い」と、得意になって人に言いふらしていた。

そして勉強も運動もパッとしない私と姉は、弟と比較されて𠮟られた。

私は読書感想文や、写生コンクールでいつも表彰されていたが、父に褒めてもらった事は一度もない。

それどころか私が絵を描いたり本を読んだりしていると

「そんな事は何の役にも立たない。勉強しろ。弟より劣る成績で恥ずかしくないのか。」

と延々と説教をするので、私は祖母や従妹の家に逃げこんで、そこで好きな事をしていた。

 

私が高3の年に、弟は中学生になった。

そしていつの頃からか弟は、家の中で無口になった。

思春期だから、男の子だからそういうものだと思っていた。

母は30代後半で弟を産んだが、苦労の分だけ年齢よりも老けて見えた。

弟がまだ小学生の時、参観日に母が弟の教室に入ると

「〇〇んちは、お婆さんが来たな。」と言われたらしい。弟はそれが余程恥ずかしかったのか

「学校にはもう二度と来るな」と言い、母は酷く落ち込んだ。

学校行事の度に来るなと言うので、母は行きたくても行かれない。

男の子の反抗期って大変だなと、私は思った。保育園の時にはお母ちゃんでなきゃ嫌だと泣いていたくせに。

弟は学校の話をほとんどしなくなり、聞いても煩いと嫌がった。

放っておけばいいものを、母はやたらと知りたがり、私にまで「〇〇に学校の様子を聞いてみてくれ。」と頼むのだった。

当時、日本中で校内暴力が問題となり、姉と私が在学中には平穏だった中学校でも警察沙汰になるような事件が起きた。弟はその渦中にいた。

私が聞いても弟は何も言わなかった。その時何か問題を抱えていたとしても、母や姉になど話すわけがない。

成長した姉も私も弟も、お互いの事を全く気にしていなかった。弟は優等生だが大人し過ぎるわけでもない。不良達には関わらず上手くやっているのだろうと思った。

私はこの家からどうやって逃げ出そうかと、自分の事だけしか考えていなかった。

 

私が就職で上京した数年後、姉も結婚して家を出た。

高校生になった弟一人だけが、あの親と暮らすのは地獄であっただろう。

けれども私は上京してから殆ど実家に帰らず、弟と接する機会が無くなっていた。

 

 

 

続く