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文芸メイン、その他もろもろ

全ては何かと繋がっている

小学生の頃、私達きょうだいは習字教室に通わされた。

数年通ってやめたが、人よりもきれいな字が書けるようになった。

その後、中学と高校の部活や選択授業でも、私は書道を選んだ。コミュ障で運動音痴の私にはそれぐらいしか入る部活がなかったからだが、書道は嫌いではなかった。

R先生は、中学の養護教員であり、書道部の顧問でもあった。

 

字がきれいだと、得をすることが多かった。

だから娘も、小学校入学と同時に近所の書道教室に通わせた。

娘が上手になるように、学校指定の書道セットではなく、少しいい硯と筆を買って与えた。

うんといいものではなく、少しだけいいものなのは、我が家が裕福ではないからである。

娘が教室から帰り、すぐに硯や筆をきちんと洗うかどうか、目を光らせなければならず、娘はそれを度々さぼったので私が洗った。

洗いながら、墨の匂いが懐かしかった。

私もまた、筆で書きたいな。

でも、すぐにその想いをかき消していた。

今から私が習って何になるのか。娘の月謝の捻出もままならないというのに、と。

 

R先生は私の作品を指導する際に、よくこんなことを言った。

「タンポポちゃん。お母さんにもう少しいい筆を買ってもらいなさい。この筆では、上手く書けないでしょう。」

その筆は、書道セットに付いていた、安物の筆であった。

もう何年使ったかわからない。払いや跳ねで毛先が割れ、きれいに書けなくなっていた。

「弘法筆を選ばず…と言うけどね、やっぱりいい筆だと違うんだから。」

私はそのR先生の話を母にしたが、母は「ああ、そう。」と言うだけで、筆を買うお金はなかなか貰えなかった。

R先生はその後にも度々私の筆を見て、いい筆を買いなさいと言っては、弘法筆を…と続けた。

 

先日私は、自分の小筆を買いに行った。

昔、娘の書道用品を買った、上野のお店がどこだったか思い出せない。そこなら割引があったのに。

仕方なく池袋のデパートに行った。

小筆だけでも10種類以上があって、値段も数百円から数千円まで幅広かった。

その中で「白芙蓉」という銘の小筆があった。1,800円。

売り場の中では安い方に属するが、私には高価な筆であったからもっと安いものを選ぼうとした。

けれども、その前日に「白芙蓉」の歌を詠んだばかりの私は、この筆が気になって仕方がない。

”この筆を買いなさい”という、何かのお告げに思えた。

そして、少しいい墨と、少しいい仮名用の紙を買った。

 

去年、はてな題詠「短歌の目」に参加するまで、短歌など詠んだ事もなかった私だが、中学の部活で書いた条幅の仮名文字や、競書で毎月提出した仮名半紙に書いていたのは、和歌であった。

その歌がどういう意味なのか考えながら、時にはR先生に意味を聞きながら、10代の私は何十枚、何百枚の紙と対峙した。

筆が流れる音だけがする、静かな時の中で、五七五七七のリズムが私の中に染み込んでいった。

だから昨年、歌詠みの世界に無謀にも入り込んだ時、懐かしい不思議な感覚におちたのかも知れない。

 

硯は、娘のを使う事にした。

私が縫った娘の書道バッグを開けると、墨も小筆もまだきれいなものが入っていて(なんだ、買わなくてもよかった)と思ったが、これを使ったと知れば拗ねるだろう。

何年も使われていない硯には、少し汚れが残っていたのでそれを水で洗った。

買った墨は青墨で、とても濃かったので水を少し足した。

小筆を指で少しづつほぐしていった。

小筆の先に墨をつけて、自分の名前を練習した。手が震えた。

上手に書けなくたっていい。

今まで数え切れないほど書いた、たかが自分の名前じゃないか。

意識を筆先の一点に集中させる。

筆はしなり、紙の上を滑る。

きれいな墨色。全く滲まない紙。払いがきれいに決まる。

わぁ。やっぱりいい墨といい紙といい筆は違う。

弘法筆を選ばずと言うけれど…ですね。

R先生。

 

R先生を思うと、涙で字が滲んでしまう。

R先生と最後に会ったのは、友人の結婚披露宴に招かれた、その帰り道で全くの偶然であった。

着物姿の私を見て、R先生は

「まぁまぁまぁタンポポちゃん、大人になって。立派になって。会えて嬉しいよ。」

と、涙を浮かべた。

私は中学卒業以来、R先生と疎遠にしていたから非常に気まずかった。

とてもお世話になった先生なのに、便りのひとつも出しておらず、就職も結婚も報告していなかった。

 

キャーR先生、お元気でしたか?会えて嬉しい!

無邪気で素直に振る舞える人達が、心底羨ましかった。

私はそんなこどもではなかったし、捻くれたまま大人になっていた。

立派になど、なっていない。それどころか、語った夢が何ひとつものになっていない自分が嫌だった。

だからほとんど話す事が出来ず、そそくさと別れてしまった。

私はそれを、今でもとても後悔している。

R先生は、あの再会から間もなく、食道癌で亡くなってしまった。

まだ50代の若さだったのに。

 

毛筆でずっと書いていなかったのだから、上手く出来なくて当たり前だと思っていたのに、思いのほか上手く書けた。

それは、道具のせいだけではない。

人生には、やってきて無駄な事など何もないのだ、と感じた瞬間だった。

全ては何かと繋がっている。

人との出会いも、物との出会いも、あの日の言葉も、悲しかった出来事さえも、何かの意味があるのかも知れない。