読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

w a k u r a b a

文芸メイン、その他もろもろ

縁日のヒヨコ

 ねむれないさめ(id:nemurenai-same)さんのブログ経由で、鶏迦(id:tyratorico)さんのブログを見た。

ニワトリが鮮やかな色彩で生き生きと描かれていて、ああ、この方は本当にニワトリが好きなのだなぁと思った。

ニワトリ達の絵を見て、また、鶏迦さんにとっては苦しい日々であっただろう養鶏の記事を読んで、いろんな事を思った。

 

いろんな事を書いて、それを動物愛護の人に批判されても私は構わないのだけれど、「身内と解る内容を書かないように」と身内に釘を刺されているので書けない。

だからこれも、とりとめのない、ただの雑文。

嫌いな人は、閉じればいい。

 

 

私の父親の実家は農家で、山奥のド田舎にあった。

メイやサツキが住んだ家のある、あの田園風景そのものだ。

父親の実家には牛もいて、庭には茶色と白のニワトリが走り回っていた。

私はニワトリをつかまえようと追いかけたが、ニワトリは一度も捕まらなかっただけでなく、怖い顔をして反撃してきた。

気の荒いニワトリだから悪戯するなと叱られてやめた。

私は小柄な子供だったから、牛はとてつもなく大きく見えた。

ギロリとこちらを見る目が怖かった。

それでも、居間に座って退屈な大人の話を聞くよりも、動物を見ている方が面白かった。

あの牛は、何のためにいたのだろう。

時折、モオオオオオーと響く鳴き声がする度に子ども達は真似をして、ゲラゲラと笑った。

叔母が次々と出してくれるスイカやトマトやトウモロコシは自家製で、全てが美味しかった。

家ではあまり食べない私がもりもりと食べるので、母が呆れるほどだった。

田んぼと畑作業をして鶏を飼い、その卵を毎朝食べるような暮らしに、高校生になるまで憧れがあった。

自然と共存し、自分で作れるものは何でも作る。

それは、容易く手に入る暮らしのはずだった。

なのに私は今、理想と真逆の生活をしていて、きっと死ぬまでこのままだろう。

 

 

 

昔、都会の方では縁日に、色つきのヒヨコが売られていたと聞いた。

私の田舎では色つきではなく、黄色いままのヒヨコを売っていた。

平たい四角い箱にみっしりと、体を寄せ合ってぴよぴよ鳴いていて、とても可愛かった。

そのヒヨコは30円だか50円の、子供の小銭で買えるような値段で売られていた。

後先見ずな私はそれを買い、家に連れて帰って酷く怒られた。

父は、生き物が大嫌いだった。

汚い。気持ちが悪い。すぐ捨ててこい。

と、烈火のごとく怒り狂った。

私は心底、この家の子である事を恨んだ。

こんなに可愛いヒヨコを、どうして捨てろと言うのだろう?

あの農家に生まれ住んで、どうして父は生き物が嫌いなのだろう?

 

母は、ああやって売られているヒヨコはみんなオスで、ニワトリになっても卵を産まない事や、ヒヨコは弱くてすぐに死んでしまう事を私に諭した。

そして、ヒヨコはすぐに家からいなくなった。

母は「もらってくれる人がいたので、あげたからね。」と言ったが、本当の事は解らない。

 

 

ところがヒヨコが上手く育ち、みるみるうちに立派なニワトリになって毎朝大きな声で鳴くので、持て余した話を聞いた事がある。

ある日、ペットのニワトリがいないと思ったら晩御飯に鶏料理が出て、それ以来鶏が食べられなくなったというのもよく聞く話である。

 

 

 

結婚して、義理の父に鶏肉の鍋物を出した時、義父はそれを食べるには食べた。

義父の生家ではとにかく長男が大事にされ、嫌な仕事は全て長男以外の者がやらされたという。

「ニワトリを絞めるのも、自分の役目だった。ああやってこうやって、それはもう嫌なものだった。」

そんな話を聞かされながら、鶏を食べた。

戦時中の飢えを体験した義父は、食べ物を一切無駄にしない。

私が、ほんの少し傷んだ野菜をゴミに捨てたり、賞味期限が過ぎて捨てたものをわざわざ拾って文句を言うので、喧嘩が絶えなかった。

けれど義父の方が正しいのだと、本当は解っている。

 

 

 

私は、食べ物で一番卵が好きで、死ぬ前に何を食べるかと聞かれたら

「卵かけご飯を食べたい」と言うだろう。

食べるために産まれてきたのでなければ、卵はヒヨコに、ヒヨコは鶏になる。

食べられるために、産まされた卵。

殺して食べるために、育てられる鶏、豚、牛…

可哀そうだと思えば、食べられるものは何も無くなる。

だから、食べる。

罪を何も犯さずに、生きていける訳がない。

その罪を、人それぞれの物差しで減らしているだけの事。