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風信子忌

詩人、立原道造は1939年3月29日に、まだ24歳の若さで亡くなりました。

立原道造の墓が谷中の多宝院にある事を、何十年も前から知っていました。

いつかは行ってみたい。今年は行こう。来年こそはと思いながら

(身内でもないのにお墓参りなんておかしいかも)と控えてきましたが…

 

昨日、とうとう行ってきました。

行ってみたら案外と近く、多宝院はすぐに見つかりました。


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桜が咲き始め、淡いピンクが青空によく映えています。
 

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多宝院の入り口。
入ってみると、人が誰もいません。
 
道造の墓はどこだろう?と思ったら、ちゃんと立て札がありました。

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立て札の矢印の方向に進むと、突き当たった所に立原家の墓が二基、ありました。
最初、右側の墓石に目がとまり、お花が萎れていたので胸がつまり
(お花を持って来ればよかった)と思いました。
お寺に入れるのか解らなかったので、何も持って来なかったのでした。

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左側の墓のお花は、生き生きして綺麗でした。
紫色の風信子があったので、道造の墓はこちらに間違いありません。
どなたかが作った、風のゼリーもお供えしてありました。

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「遅くなりましたが、やっと来る事が出来ましたよ。」
 
こんなにも近かった場所なのに、私ったらどうして今まで来なかったのだろう。
ずっとずっと、来たいと思っていたのに。

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お寺の躑躅も咲き始めていました。

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境内にある観音様が、私を見下ろして言いました。
「やっと、来たね。」

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立原道造は、十代の私の”アイドル”でした。
今の子達がジャニーズに憧れるように、私は道造の「甘たるく感傷的な」詩に憧れていたのでした。
 
道造の詩集を抱え、ひとりでいつも眺めていました。
実際には道造の詩は、よく解りませんでした。
愛だの恋だの全く未知の世界だし、旧仮名づかいにも手こずりました。
繰り返し読めばそのうち解ってくるのかなと思いましたが
今でも解りません。
 
高校生の時、「何を読んでいるの」と覗き込んだ男子がいました。
ある人は「うえっ」と顔をしかめました。
またある人は、自分も図書室で道造の詩集を借りてきて
「なかなかいいよね」と話しかけてきました。
当時の私は、性犯罪被害のトラウマで男子と話が出来ない状態でしたので、返事をしませんでした。
彼らは道造を知りたかったのではなく、私を知りたかったのかもしれません。
 
そんな事があったなぁと、帰り道に思い出しながら歩きました。
 
また来よう。今度はお花を持って来ようと思いました。
 
それから、やっておきたい事は何でも躊躇せずにやろうと思います。
後悔が、ひとつでも少なくなるように。