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四十九日に

一昨日、Lの四十九日の法要のため霊園に出かけた。

日にち薬で次第に癒えてくるものと思っていたけれど、私のペットロスは日が経つにつれて酷くなった。

死者の霊は四十九日間、この世とあの世の間を彷徨っているらしい。

果たして犬猫の霊も同じかと疑問に思えば、この法要の意味が無くなってしまうから黙っている。

Lの霊は、成仏などしないでずっと私の側にいて欲しい。

法要の朝まで私はメソメソしていた。

 

真冬に戻ったような、とても寒い朝。

霊園には早く着いてしまった。

電話で予約をしてある旨を受付で告げ、Lの写真を預けた。

四十九日の法要にかかった費用は5,000円で、内訳は供養料が3,000円、塔婆が2,000円となっていた。

高いとも安いとも思わない。良心的な、出しやすい金額だと思った。

人間の時は、こうはいかない。

領収証と一緒に御供物と書かれた箱を貰った。箱の中身は蕎麦だった。

 

この日、20組位の家族が法要に参加した。

まだ悲痛な表情のシニア夫婦や、無邪気に犬の思い出を語る小さな子を連れた家族、ひとりで参加した人もいた。

四十九日経ったからといって、悲しみから立ち直れないのは私だけではないのだと感じた。

読経の間、その意味はあまり解らなかったけれど(動物たちの霊が皆無事に成仏しますように)という気持ちに私もやっとなれた。

やっと、なれた。

 

けれども私は、読経の時に吹き出してしまわなければいいけれど…と心配していたが本当にやってしまった。

最初は泣いていたのだが、何だか訳もなく可笑しくなった。

◯◯家〜愛犬◯◯〜と次々名前が読み上げられていく、その独特の口調に。

隣にいた夫は、私が遂に泣きだしたと思ったらしい。

でも娘は私が泣いたのではなく笑っている事、それを誤魔化すために泣いたふりをしているのが解っていて、不謹慎だと腹を立てていた。

かなりの顰蹙ものだが、止められなかった。

焼香の時にはやっと落ち着く事が出来た。

 

その後、僧侶の法話を聞いた。

命という命は全て、人も、空を飛ぶ鳥も、地べたのアリンコの命も平等であるとか

その平等の命の中で、人が万物の霊長であるとかのお話であった。

私はその時、自殺や動物愛護でしばしば荒れる、とあるブログの事をぼんやり考えた。だから有難い法話も、あまり頭に入ってこなかった。

僧侶の法話は、ペットも家族であるから、これからも供養しなさいという話で結んだ。

 

家に帰ると、もうLの気配がしなかった。

もう、天国に行ったよね。

あ、極楽浄土か。

やっぱり、宗教はよく解らない。

私の時には今よりももっとシンプルに、リーズナブルに

明瞭会計になってもらいたい。

無理か。