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あの日から5年が経った

 

 

 

東日本大震災から5年が経った。

あの日の事をよく思い出そうと、当時、自分の書いた文章を読み返した。

そして被災地から遠く離れた東京でさえ、通常の生活に戻るには数か月かかっていたのを思い出した。

明日この国は、私達の暮らしは、一体どうなってしまうのか。

今日は何時まで電気がつかないとか、産まれる親戚の子のために水を買いに行ったりとか

そんな日々を送った事さえ、すっかり忘れていた。


あの日から今日までの5年間、いろいろな事があった。

もう死んでしまおうかと思うのも1度や2度ではなかったけれど、今日も私は生きている。

私が死にたくなるのは、耐えがたい肉体的苦痛がある時と、気分が塞いで景色がモノトーンに見える時だ。

死にたい理由は他人からはどうでもいいようなくだらない事だ。冷静になれば自分でもくだらなかったと解る。

けれども生きる価値を見出せないほど思い詰めている時は、自殺が苦しみから逃れる唯一の手段である。理由が他人に理解されるかどうかなんて、知った事ではないのだ。

 

しんどい。もう死にたいと思う時、私は津波に流された人達を思う。亡くなった方々は誰もが今日を、明日をもっと生きていたかった。

 

若くして病気や事故で亡くなった知人を思う。なぜ私が死ななければならないのかと、無念だったはずだ。

 

そう思うと、自分で自分の命を終わりにするのはいけない事だと気付く。

自ら命を絶たなくても、私は私の運命でいつかは必ず死ぬのだから。

その日までは何があっても足掻くようにして生きるのだと。

 

 

子育て中に、中学生の自殺のニュースが相次いだ。

その度に私は子に、自殺はダメと言い続けた。

小学生の頃は刷り込まれて「自殺はダメだよね」と頷いた子だが、中学で苛めにあうと「死にたい」と言い出した。

それを聞いた私は中学校にすっ飛んで行き、担任を怒鳴りつけた。子を守るために。

担任は最初、苛めそのものを認めなかったが、直ぐに対応してくれたお陰で苛めはなくなった。

もし担任が動かなかったら、私は苛める生徒、その親、クラスメイト、校長、教育委員会に話をつけに行っただろう。

親は、母親はそうしなければいけないと思う。

 

私自身も、小学生の時に死にたいと思っていた。

私の親は、学校に文句を言える人ではなかった。

お前にも悪いところがあるはずとか、我慢しなさいとか、そのうち収まるだろうとか、相談するだけ無駄であった。

自分を苛めた子も、その子と一緒になって馬鹿にした担任も、私が死ねば困るだろうな。

困ればいいのだ。

あんた達のせいで私が死んだのだとはっきり解るように遺書を書こう。

私なんかが死んだって、クラスの誰も泣いたりはしない。

私は枕を濡らしながら文章を考えた。

考えているうちに(でも…)と思う。

誰かがこの遺書を隠してしまったらどうしよう?

クラスの子達は泣かなくても、母や祖母はやっぱり泣くだろうな…

そして、自分で自分が哀れになり、死ぬのは怖いから止めようと思うのだった。

 

死んで困らせて復讐するよりも、自分の方が幸せになる方がいい気味なのに

私の場合は苛めた方がずっと幸せに暮らしている(ように見えるが幸せの尺度がないから解らない)のが憎らしい。

私も子も、あの「死にたい」を実行しなかった後、生きていて良かったと思える日々ばかりではなかった。

いろんな事があって、その時々で自殺を考えてきた。

私などは「子供を殺して自分も死ぬ」ところまで思い詰めた事も一度だけあった。

その時はやはり、精神的に不安定な状態であったと思う。

理由だって実につまらない、客観的に「それくらいの事」であったのだ。

「それくらいの事」で死ななくて本当に良かった。

私にはともかくとして、子には切り拓ける未来があるのだから。

 

自分で自分の命を終わりにする事はない。

人の生きる意味も価値も解らなくたっていい。

運命のその時までを、抗わずに生きるだけだ。