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映画「あん」を観てきた母と私の物語④

ビジネスホテルの簡素な部屋にひとりでいると、そこは静か過ぎるほど静かで快適であった。ここならば今夜は眠れそうな気がした。

去年と一昨年は、海の近くのホテルに泊まった。真夜中に身体が痛み、鎮痛剤も睡眠薬も効かなかったので、夜が明けるまで波の音を聴いていた。

どうしてホテルに?お金の無駄遣いだ。実家に泊まればいいのに。

誰もがそう言い、その度に適当に答えた。きっと解って貰えないから。

私は真夜中に具合が悪くなる事が時々ある。決まって2時頃に。それを母には見られたくない。

高校を卒業するまで、私は何時でも母に纏わりついていた。

母は仕事で疲れ果てており、子育てはおざなりであった。私達は親の愛情にいつも飢えていたと思う。

けれども今頃になって、子供のように扱われても戸惑うばかりだ。

母にとって、私は今でも18歳の私なのだろう。

高校3年の頃、私は父親と衝突ばかりしていた。あのまま実家にいたら、私は何をしでかしたか解らなかった。

卒業したら家を出ようと決めた時、母は私を引き留めるだろうと思った。

でも、違っていた。

「遠くで自由に生きなさい。おめさんだけでも自由に…」

母は私に、そう言ったのだった。

 

翌朝チェックアウトをして、再びキャリーバッグをゴロゴロと引き摺って実家に向かった。

母は今か今かという風に、玄関の側に座って私を待っていた。

 

「ところでSさんからは、連絡があったの?いつ岩手さ来んだって?」

「それがー解らないのす。いーづ来んだーがー」

「はーーー?」

私は軽く目眩がした。

母は、Sさんから届いた絵葉書や手紙を私に見せた。

お便りにはSさんの体調があまり良くない様子が綴られていた。そして、その中には

「映画を観てくれた?」

という一文もあった。

 

もしかすると…

母が待っていてもSさんは、岩手に来られないのではないだろうか?

 

10月上旬には「あん」の上映が終わってしまう。

例え体調がもう回復していたとしても、関西から岩手の沿岸までは相当な距離なのである。

母はどうして、Sさんが自分と一緒に岩手で映画を観たがっていると思ったのだろう?

それは母の、若しくはふたりの願望、夢物語だったのかも知れない。そしてその願いは、今日明日には実現出来そうにない。

私は母に

「Sさんが来るのを待っていないで、観に行った方がいいんじゃないの?上映期間が終わっちゃったら、もう観られないんだよ?

Sさんが元気になって、こっちでの上映に間に合うように来られたなら、2回目を観ればいいのだし」

と言ったが、母は黙っていた。

「今日は伯母さんの家を回ってお線香をあげて、明日盛岡で映画を観ようか?お母さんも久し振りに盛岡に行きたいでしょう?」

盛岡の劇場でひとりで「あん」を観るつもりだった私は、母も日帰りで観ることが出来る上映時間なのを知っていた。

それに、盛岡に行けば姉と弟にも会えるのだ。

先刻父が私に、弟はどうしているかと聞いてきた。私は、会っていないから知らないと言って首を横に振った。

「お父さんは弟を気にかけていたよ。お母さんを盛岡に連れて行ってもいいか聞いてみようか?映画の事は内緒にして、弟の所に行くって言えば許すかもよ?」

「おめさんが聞けば、いいって言うごった。おめさんから聞いでけで」

私は、『母と盛岡の弟の所に行って来るからね』と紙に書いて父に見せた。

父は薬の副作用で数年前から聴力が弱いのだった。

父は少し動揺しながらも、ご飯の支度がしてあれば良いと言った。

良かった。早く準備しよう。我儘な父の好きそうなものを買いに行こう。父の気が変わらないうちに。

でも母は動かなかった。そして

「盛岡さば、行がねぇ。」と言った。

「どうして?せっかくお父さんがいいって言っているのに…」

「今はいいって言ってだって、帰って来ればどうせ、よめぇこど(世迷言)を聞かされんの」

「そんなもの、聞き流せばいいじゃないの」

「おめさんの言う通り、Sさんは来れぇねぇかも知れないなぁ。映画はこっちでおめさんど観っかなぁ。」

 

どうして?と何度聞いても母は「盛岡さば、行がねぇ」「行きてぇども、行げぇねぇ」と繰り返して、項垂れるだけだった。